FC2ブログ
2015/01/13

「無知の知」 や 「知らないを知る」 の雑記

 
 


2015113-5senryou01.gif

  我が家では正月花の千両が、
まだまだ元気で、飾られています。
皆さまはどのようなお正月をお過ごしになられましたか?


今年のお正月は、何やら休みなしでバタバタしていましたが、
その中でもなぜか、自分の”無知”を知るというか、
言葉を変えると、自分が実は何も”知らない”ということを、何となく気づかされるようなことが、何気に多かった気がします。


が、”無知、知らない” ということを知ることでの有り難さもあって、

視界視野がほんの少しながら拡がる感があったり、
また同時に、今まで気づけていなかったことを急に気付いて反省したり、
またこれも同時に、
自分はな~んて小さいのだろう・・・・・・・・・・・と、こういう感じは、これまでの人生の中でも何百回と思い感じ入ってきたとしても、また新たに思い、新たに感じ入る・・・・・・・・…、
微妙に感情は揺れるけれど、それはそれなりに新鮮だったりして・・・・・。


結局、自分が無知と知ることは、ある意味、有り難いんだなと思い始めていた頃、


正月明けに、(株)ヴォイス様からのお客様宛のDMが届き、開封したところ、
中に添えられた代表:喜多見氏の賀状の文面が、
その時の自分の五感と、ピタリと合うようであり、
このタイミングっていったい何?と思わず読み入ってしまったのでした。


先ず、はがき表面に大きく書かれたこの言葉が目に入り、


2015113-2.jpg


そうして裏面を読みますと。

 (皮肉混じりのユーモアさえ感じさせる文章が展開。)

-----------------------------------------

わたしたちは、まだ世界をまったく知らない。「わたし」がなんであるのかも、知らない。
コオロギは線虫ハリガネムシに寄生されると、彼らにとって危険な水に惹かれ、
みずから川に飛び込み、おぼれ死ぬ。
それをイワナが食べることで線虫は、宿主を魚へと替える。
ある種のタンパク質をコオロギの脳に送り込むことで、線虫が羽虫の行動を制御している。

わたしを主体、まわりを客体とするシステムは、世界を認知するために手に入れた仕組みだが、
そこには、「あやうさ」も含まれている。

私たちは、命を知らない。死を知らない。時間を知らない。空間を知らない。
地球を知らない。太陽を知らない。銀河系を知らない。重力を知らない。
意識を知らない、感情を知らない。眠りを知らない。身体を知らない。
ミトコンドリアを知らない。DNAを知らない。微生物を知らない。
世界を、知らない。私たちは、わたしを、知らない。

しかしいったん始まってしまった知性は、それでもなお、真実に近づこうとするだろう。
そう遠くないある日、決定的ないくつかの秘密が連続的に明らかにされていく。
それは驚天道地の世界観となる。
その瞬間、科学技術には量子的飛躍が起き、認知の大変革は生き方の変革へと至る。
このようにして私たちは、確実に「宇宙人」になっていくのだ。

明けまして、おめでとうございます。


-----------------------------------------

※ 賀状の転載につきましては、(株)ヴォイス様にメールをしまして、
スタッフの方をとおして、代表:喜多見氏ご本人様から許可をいただいています。
また文は一部のみ略させていただいています。
(株)ヴォイス様のHPはこちらです。





と、この賀状を読んで何やらふっくり笑えてしまいました。
無知や知らないを知ると言った言葉が何となく頭によぎっていた時に、
こういう言葉&文章が降ってきたようにやってくるなんてね、
何かに見透かされ、一本取られたような・・・・・・・・・・・。


(ハリガネムシね~、そこからお題に入るとは、全く予想しない文の出だしであり、
愉快に楽しく、「知らない」を何気に伝えていませんでしょうか。
ある種、前衛詩とも言えそうな、こういう表現もあるんだなと感心、
座布団3枚!と言いたいところを、代わりにブログシャアさせていただくことにしました。(笑))




ちなみに(株)ヴォイスさんとのご縁は、
下記の本を書店で手にしたことに始まりますので、
かれこれ26年近くになります。(とはいえ、長さだけですけどね。^^:)
今では、その頃に生まれた世代の方たちがスタッフでいらっしゃる・・・・・・世代交代感はひしひしです。


バシャールバシャール
(1988/07/01)
ダリル・アンカ

商品詳細を見る



~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*





と、ハリガネムシやミトコンドリアはともあれ、


「無知の知」や「知らない(知らず)を知る」という言葉は、
思い込みへの戒めや
謙虚であれという諭しの場面などでも引用されることのある言葉ですね。


私たちの日々はいろいろな局面がありますので、
いつも謙虚であることはなかなか容易ではありません。


でも何かしらのきっかけで、ふっと何らかの思い込みが外れ、謙虚さを取り戻せたようなとき、
肩の力がすっと抜け、心が楽に、そして優しくなれたりもする気がします。


いつもとは言いませんが、謙虚でありたいものですね。
出来れば自然体のままで、そう在れたら良いでしょうね。


















関連記事
暮らしの中で ~あれこれ~