2016/02/27

体という宇宙   ひとり言です。

 
  
 
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私たちがこの生を生きるために創造されている肉体は
宇宙そのものです。

壮大な宇宙そのものが
一人一人の体の中にあります。


精神世界では古くからよく言われるように、
世界は自分の内に在ります。
平行現実のみならず多次元現実も、またしかりです。


アチューンメントをさせていただきますと、
そういう仕組みが

よく判る気がします。

(と、あくまでも感覚の範囲ですので、
倫理的説明は出来かねますが。)





体より
精神や思考を重んじる傾向が
例えば男性には、多いかもしれない。

体を重んじるのはどちらかというと
女性の方が多いかもしれない・・・・・・長年、家の中で家族の健康や食に関わったり、
育児や妊娠といった体に直接関係のあることに関与する時間や機会が
(医師などの体に関わる職業でない場合)女性の方が多いということもあるでしょう。





が、体の中に大宇宙は在ります。
 (縮図という言い方の方が受け入れやすいかしら?)

精神や思考や感情の中ではなく・・・・・・・・、

また、外でもなく。
(正確には、中に在り、同時に外に在ると言えるでしょうか。)





どうしてそうなのか、科学物・物理的に証明されているのか?いないのか?は、
知りませんのと、
感性体感で見知ることの詳しい説明は、ここでは省きます。





けれど、
当分は(まだ相当長く?)二元性が続き、それを私たちは生きるでしょう。
(二元性の世界では宇宙は紛れもなく外にあります。
その現実がどの人にとっても突然変わるということは無いでしょう。)


が、
ワンネスへの自覚や認識、または体感は、

誰もがだんだん身近となるのではないでしょうか。





私たちは現在、
この宇宙の地球星に居るのですが、

同時に壮大な宇宙を、身に抱いて

生まれているようなものではないかと・・・・・・・・・・・・・・。





体を、慈しみましょう。

& 自分の体を慈しむように、他者の体も慈しみましょう。
隣人も、植物も動物も・・・・・・・・・・。

(テロや犯罪も溢れているのだから、そんな訳ゆくものか!
などということも、当分は(いえ、あいにくまだ相当長く?)続くかもしれませんが・・・・・・・・。(苦笑))





やがての
調和と光の時代に思いを馳せつつ、

肉体を持って生まれた今に感謝、
そして Love  全てに。
  
 というのが、
 泡のように浮かんだ今一時の感覚としても。それもまたLove。 
















宇宙とスピリチュアル
2016/02/24

最善とは?   &   最善意識を手放す

 
 
 
 
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日暮れの熱田神宮
(第二鳥居)

1月の撮影です。
混雑を避けて大寒中の初詣。




前記事に続き
個人的つぶやきです。

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最善とは、

常に変化するものです。


今日の最善が明日の最善とは限りません。

過去の最善が
今の最善とは限らないのです。



前に、この選択が最善だったからと、今もそうに違いないと思い続けることは
たやすいこと。ですが、

たやすいのが、いつの間にか
過去の規定に囚われる”執着”にならないようにしたいものです。



過去に最善と信じた選択も
時に、
手放す勇気を

自分に許すことも必要かと。




ですが、それがとっても辛い場合もあります。

また、多様な要素が絡んで、簡単ではない、
そういう場合もあります。

が、それもまた良しかと。
いつも最善ばかりを求める必要もないのではないかと。



最善ばかり求める必要はない、と思える心
これこそ最善かもしれません。





普遍性とは
変化です。

止まっていても、実は止まっていません。


何かに拘っていて、あたかも止まっているかのようでも
止まってはいません。(時間のように。)

また、拘りを抱えているのは自分です。

が、だからといって自分を責める必要もありません。

溶けない氷はないように、
どこかで、その拘りが嘘のように紐解けたり、あるいは溶けてゆく、そういうタイミングも有るでしょう。


それを待ち、機に任せるのも、
これは昔から知恵として言われる最善の選択のひとつですね。





何にしろ
心柔軟でありましょう。


柔軟心で
最善という言葉(意識)も手放してみましょう。


そうしたら、
空が一層青く青く澄んで、拡がるかも。




手放す必要があるのは、
最善を求める希求意識であることも
時には有りかと。

(ただし、最大限、最善への尽力をした後かな?
”手放し”で、大いなる祝福が起きるのは・・・・・・・・・・・・・・。)





~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~






ふと考えたことや
よぎる感情を
いつもは
日記に手書きで記すのですが、
(手で書くのは頭の整理にとても良いので・・・・。)



今日はこちらに、つらつらと記して見ました。

(離婚問題に直面して悩んでいる弟のことを考えつつ・・・・・・・・・・・。)





脈略ないみたいで、
お目汚しで失礼しました。












 
 








つぶやき
2016/02/21

渋温泉旅行 その2  歴史情緒とジブリロマン  &  小布施

 


前記事からの
続きです。



前記事の書き始めでキッチンで煮ていた豆は、
煮終えて、この後一晩煮汁に漬け置きます。
(今深夜ですから。)

味付け仕上げは一夜明けてから。

味付けしてから
数時間から一晩、置きます。

おおむね二日がかりの煮豆です。

美味しくな~れ。




さて渋温泉の続きです。



~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~



「千と千尋の神隠し」を彷彿とさせる・・・・・・・・・・・、
金具屋という歴史由緒?ある旅館です。
(お泊りはここではなくね。(^-^; )

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下調べで想像はしていましたが、実際その場に行ってみると、
確かにその感じ・・・・・・・、

奥の建物の最上階には”湯ばーば”が居そうですし、
窓からは白龍の”はく”が飛び立ちそうな・・・・・・・・・・・・。


歴史感とジブリロマンのある建物でした。




石畳の路地を散策します。
路地からはこんな感じの景色も見えます。


ビルなどもあるものの、歴史感漂う、ひなびた感じもします。
この、ひなびた感も、好きな人にはたまらない魅力となっているようですね。



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かなりの年季の入った、重厚な造りのお寺です。
雪が深く寺社内散歩という訳には行きませんでしたが、
たぬきさんが可愛いです。



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あとは温泉に入ります。
温泉は何種類もあります。



宿に荷物を預けて先ずは噂の外湯、9湯めぐり。
外湯は渋温泉全体の共有風呂のため
各お宿のチェックイン時間が過ぎると

混み合います。



私的に一番気に入ったのは
お宿の温泉。

宿は湯本旅館。

大正ロマン漂う、古~いお宿です。

雪も降り、雪見温泉です。
(とはいえ、大自然の中ではなく、近隣の家々が狭い範囲に肩を寄せあうように密集している町です。

すぐお隣の家の飼い犬の、夕方じゃ早くご飯おくれ!?の吠え声も
町ならでは愛嬌です。)




外湯が9種の他に
宿の内湯、露天、他に部屋の浴室と、
温泉はたっぷり。



宿泊客が外湯に出かけるせいか、内湯は空いてます。
ここでゆっくりしたかったのですが、
時間不足かな?で、
温泉をゆっくり味わうには、
一泊では足りない感じでした。





渋温泉は歴史が古いこともあって、
古い建物が多く、
細い路地に温泉とお宿&お土産店など密集していて、
当然、そこで暮らす人々の生活感も同居していました。




町のそこかしこ、
匂い立つのは温泉湯の匂いばかりではありません。
何と形容したら良いのかしら・・・・・・・・・・・・・、



長い歴史の中での幾多の生老病死・・・・・・・・・、
様々な悲喜こもごも・・・・・・・・など、
(それらはきっと湯治や観光で訪れた人々も含まれるのでしょうが。)




暮らしの中で、あるいは温泉に浸かりながら、
人々が吐き出した・・・・・・・・・・・・心の吐息、心の湯の花とでも
申しましょうか?



そういったものも
そこかしこで湯けむりのように浮かび見え隠れするようで、
歴史情緒の他に、そういう意味でも情感を感じる温泉地でした。




温泉に浸かりながら、ふと思いました。
もし、川端康成氏がご存命で、この渋温泉に連泊なさったなら、
味わいのある文学小説がまたひとつ生まれたかもしれない・・・・・・・、
どんな物語になるのだろうか?と。




翌日は
小布施というところに寄りました。
こちらはオシャレな町並みに整備されています。
渋温泉とは全く違った雰囲気が展開します。



葛飾北斎記念館
入口付近

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ここでゆっくり展示品を観賞。




近くには
喫茶も多く、しゃれた小路も用意されています。
東京、代官山に似ているとか?




雪が眩しい。



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「高井鴻山記念館」東門入口に植樹された

メタセコイア

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高井鴻山は、
葛飾北斎とゆかりの深い江戸末期の豪商&画家&思想家とのことで、
記念館は当時の建物の一部と暮らしや活動の面影が保存されています。
江戸期に思いを馳せつつ、見て回るだけで、時間が過ぎます。






帰路に着きます。
(駅ホーム上から)

線路脇の塀にかけられたPR看板が旅情を誘います。

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と、湯の花旅行シャアでした。^^ 












暮らしの中で ~あれこれ~ | Comments(0)
2016/02/21

渋温泉旅行 その1  車窓より

 


時折、
時間の感覚が無くなります。
それでも日常は時間に追われています。
そのギャップなのか?
頭の中に何やら虚無の空間?が出来てしまい・・・・・・・・・・・、
ギブアップ的に、思考停止というか、ボーっとします。

これは単に疲れなのか、
それともいわゆる呆けの始まりなのか?
はたまたアセンション症状なのか?

?、なれど、そんな時はまずは休みたい。



ということで、ひと息付きながら、
とはいえ、キッチンでは豆を煮ていますので、一息つきながらも何かしている・・・・・
さらにブログ書きまで始めているのは
もはや現代忙し病の域か?



等々言いつつ、
今日の記事は
大分遅れましたが、
節分前の寒中に、
歴史情緒を感じさせてくれる渋温泉に行った際のことを、
写真の整理を兼ねつつ・・・・・・・・・・・。



~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~



車窓より。


この光は何でしょうね?
ストロボと何かの光がかち合ったのかな~??と。
不明です。

写真上方の斜め横状の光の帯は電車内の明かりが映り込んだものです。

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ストロボを解除しました。

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同じような景色。
電車は進みます。
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静かな雪景色になってきました。

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アルプスの山峰が見えます。
例年と比べると雪が少ない様子。

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電車の動きを感じて下されば。
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この辺りは例年なら、もう少し雪に埋まっていそうですが、
そうでもなく、やはり暖冬ですね。
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絵画のような、
詩情ある風景。

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ほぼ目的地付近に近づきました。
が、思ったより雪が少ないような・・・・・・。

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ここから乗り換えがあります。
湯田中、渋温泉へと移動します。


湯田中駅では、お猿の温泉で知られる地獄谷方面行きの外人さんがとても多く、

駅スタッフの方はもとより、
自販機までは英語対応になっていました。

自販機で温かい日本茶を買ったところ、
Thank you
See you again.. と”自販機に”言われ、呆気。


駅にはお猿の温泉のPR写真がいっぱい。
ほんと気持ち良さそうに温泉に浸かるのですね、おサルさん達。
(PR写真によると。)







渋温泉に着きました。
宿まで歩きます。


道幅の狭い石畳の路地を挟んで温泉宿が並んでいます。
小さな温泉地で、
地域の人々の暮らしの生活感もいっぱいです。



途中、民家の軒先に大つらら発見
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氷の天然芸術ですね。

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懐かしの赤いポスト

一つも足跡がないということは
この日はまだ誰もこのポストに近づいていない模様ですね。

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その2へ、つづく












暮らしの中で ~あれこれ~
2016/02/06

光の道とは?

 
  
 


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今日はひとり言、つぶやきです。^^



~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~



光の道とは


日常の中の一瞬一瞬の中にあります。
遠くにあるものではありません。

今歩く道は光の道では無く、
何かをしたら、あるいは何かのきっかけで、未来に光の道として新たに開く、のではありません。
今すでに光の道を歩いているのです。
どの人も。

それが、とっても暗く感じていても・・・・・・・・・・・・・・・・・。


(とっても暗く感じているとき、今、光の道を歩いているなどとは感じられないのは当然です。
当然の感情は素直に受け止め、正直でありましょう。)




悟りとは

今が悟りだと気づくだけの事です。
シンプルです。
遠くに悟りの世界があるのではありません。

私たちは実は悟りの世界から生まれ出でた、悟りの存在なのです。

とっても嫌な人物を演じていても・・・・・・・・・・・・・・・・・。
たとえ残虐なサイコパスでも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


と、これを言うのはかなり辛いです。
感情が反応します。
辛いと感じ、感情が複雑に反応する私はまだまだ第3密度で修行中の人間です。


だということを認め知り、
嫌なものは嫌だということも素直に認め、言うことにします。
正直でありたいものです。




と、このようなことを考えていたところ、
現在ライタリアンレイを受けて下さっている或る方からのメールの何気ない一文に
まるで燦々と光降り注ぐかのような感覚を感じたのでした。


「今日は、育てている薔薇に新しく芽が出てきていたので剪定をしていました。春を感じるひとときです。」



たったこれだけです。
でもこれで十分でした。
燦々と降り注がれる光が、手に受け取れるほど実感的に感じられた気がしました。


(光はどこにでもあります。
誰にでも降り注がれているはずです。
気付くか、気づかないか、あるいは気付けないかの、ほんのわずかな違いで。)





日常の中に光有り、光有れ。
小さき物に、小さな隙間に、光を見いだせるものは幸いなり、

などと自分に言い、一人つぶやいたのでした。





~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~





写真は、
早春に咲く
通称、春告花 (キクザキイチゲ)


お花は
光の道に咲き、
光の道を彩ってくれながら、共に光の道を歩む優しく素敵な仲間たちですね。


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 ~フォト:「壁紙村」様より~






立春が過ぎ、最初の土日です。
皆さまどうぞ良き休日を・・・・・・・・・・・。


















つぶやき
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